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書評が『Fuji Sankei Business I 』(2019年1月7日号)に載りました

中国大陸の微型小説

 

                 渡邊晴夫

 

 日本の掌篇、ショートショートに相当する短い小説は、中国では文革終了後、一九八〇年代に入って盛んに書かれるようになり、それまでの小小説という呼称に加えて、微型小説、超短篇小説という新しい名称も生まれた。微型小説は改革開放政策の進展にともなって忙しくなった人びとが短い時間に読める形式として発展し、一九八四年から一九八六年ころには一つの新しいジャンルと社会的に認知された。全国の四〇〇種を超える新聞雑誌が微型小説を掲載し、この形式の作品を専門に載せる『小小説選刊』、『微型小説選刊』をはじめ各地の専門紙誌は発行部数を伸ばしていった。王蒙、劉心武、汪曾祺、林斤蘭、蒋子龍、馮驥才、航鷹などの著名作家がこの形式の作品を積極的に書いてジャンルの発展に寄与した。各種の微型小説、小小説の作品を募集するコンテストが各地で新聞雑誌を舞台にして開催され、そういうコンテストの入賞者の中から微型小説を専門に書く「微型小説専業戸」と呼ばれる作家たちが輩出した。現在活躍している凌鼎年、沈祖連、張記書、孫方友、謝志強、王奎山などもみなコンテストを通じて頭角を現した人たちである。

 はじめ文革批判、反右派闘争批判、官僚主義批判など過去の歴史的問題をとりあげ、また現状に残る古くからの社会問題を批判することに重点を置いていた微型小説の題材は、社会的問題とともに人びとの日常生活のさまざまな面にも及ぶようになり、一九八九年頃には微型小説は成熟といってよい一つの段階に達したと考えられる。

 一九八八年『北京文学』に発表された曹乃謙の「到黒夜我想你没辨法」という作品は、山西の雁北の貧しい山村に特異な価値観をもって生きる人びとを描いた五篇の短い小説からなる系列(連作シリーズ)掌篇小説である。息子の結納金の不足分の穴埋めに寡夫である嫁の父に自分の妻を一年に一か月だけ貸す男、凶暴化する息子の性欲をなだめるため、いたしかたなく性の相手をする母親、別の金持ちの男に嫁ぐ予定の娘から性の交わりを求められても「温家窑の娘はそんなことはしてはいけない」と窘める貧しい恋人など、どうしようもない貧困な状況の中で人々が独特な価値観もって生きる姿が印象深く描かれている。汪曾祺はこの五篇の連作を推薦する文章を書いて、作者の創作態度、作品の描き方、簡潔で的確な文章、方言と反復を多用する独特の叙法、素朴な味わいなどの全面に亙って高い評価を与えた。また孫春旻は「同じ頃に現れた優れた長篇、中篇、短篇のどれと比べても、少しも遜色はない」という評価を送り、この作品の出現をもって微型小説が成熟に達したとしたのである。

 以後、時々に消長はあったが、微型小説は基本的に発展をつづけた。

 一九九二年には編集者、作家、研究者などによって中国微型小説学会が結成された。一九九〇年代の半ばには半月刊となった『小小説選刊』と『微型小説選刊』(ともに半月刊)は、文学雑誌が軒並み発行部数を減らす状況の中で三〇万部を超える発行部数を誇った。微型小説の専門誌も次つぎに刊行され、一時は二十種を超えた。

一九九三年から九四年にかけて一年に亙って華語圏全体で実施された春蘭・世界華文微型小説大奨賽は、中国微型小説学会、シンガポール華文作家協会、香港作家聯合会、オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ華文作家協会、春蘭(集団)公司など八団体が主催し、各地の新聞雑誌が協力し、掲載された優秀作品は二千篇を超えた。一等賞は空席となったが、二等賞にはベルギーの章平、シンガポールの連秀、香港の杜毅、中国の凌鼎年、沙葉新、周鋭、修祥明などが入った。中国大陸での微型小説の盛況をうけてシンガポール、タイ、マレーシア、フィィリピンなどの華語圏でも微型小説への関心は高まっていたが、このコンクールはそれをさらに高める役割を果たした。

こうした状況を背景に首届世界華文微型小説研討会が一九九四年十二月シンガポール国立大学で開催された。華文(中国語)で書かれた微型小説に関する最初の国際的な会合であった。シンガポール華文作家協会、シンガポール国立大学芸術センター、『聯合早報』の三者の共催によるもので、中国、台湾、香港、マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシア、オーストラリア、日本、シンガポールの三十八名の論文発表者を含む多数の小小説作家、評論家、編集者、研究者などが参加する盛大な会となった。この研討会は論文発表、座談会、会議の間の交流を通じて、今後の論議のための共通の基盤をつくる役割を果たした。以後、一九九六年タイのバンコックでの第二届、一九九九年マレーシアのクアラルンプールでの第三届、二〇〇二年フィリピンのマニラでの第四届、二〇〇四年インドネシアのバンドンでの第五届、二〇〇六年ブルネイのバンダルスリブガワンでの第六届、二〇〇八年中国上海での第七届、二〇一〇年香港での第八届と回を重ね、国際的な交流は大きく発展している。中国大陸で始めて開催された第七届研討会ではそれまでの功績をもとに中国の江曾培、シンガポールの黄孟文、タイの司馬攻、日本の渡邊晴夫に「世界華文微型小説終身成就奨」が授与された。また、各国、各地域の組織の活動を評価する賞状も用意され、日本世界華文微型小説研究会にも賞状が授与された。

 二十一世紀に入って中国大陸の微型小説は文学界での認知度を高めている。二〇〇一年十二月中国作家協会第六次代表大会の工作報告で、はじめて微型小説について「微型小説の創作もまた広く読者に歓迎されている」と言及された。また、中国小説学会は二〇〇五年の大会で小小説・微型小説を正式に研究対象とすることを決定し、『二〇〇五中国小説排行榜』にはじめて微型小説十五篇を収録した。二〇〇八年『中国新文学大系』(一九七六―二〇〇〇)全三十巻の一巻として『微型小説巻』がはじめて刊行された。そして二〇一〇年三月に小小説は正式に魯迅文学奨の評奨の対象とすることが決まった。

 微型小説は教育の分野でも少なからぬ役割を果たすようになっている。語文課本(国語教科書)や各レベルの入試問題に採用された微型小説は百篇を超えている。教科書に採用された作品には、邵宝健「永遠的門」、修祥明「小站歌声」、李永康「紅桜桃」、薛濤「黄紗巾」、汪曾祺「陳小手」、劉心武「等待散場」、賈平凹「小巷」、凌鼎年「孔乙己開店」、畢淑敏「一厘米」、馮驥才「高女人与她的矮丈夫」などがある。小中高生、大学生を対象とした各種の選集が刊行され、国語教育の一環として小中高生に微型小説を書かせるとり組みも香港を中心に華語圏、中国大陸の各地に広がっている。

 微型小説は文学の中で多くの作者と読者をもつジャンルとなっており、『小小説選刊』と『微型小説選刊』の発行部数の合計は月に百二十万部を超え、この二誌だけで全国の純文学の雑誌の発行部数を上回ると指摘されている。その他各地で刊行されている専門誌には、『小小説月刊』(月刊、河北省文聯)、『百花園』(半月刊、河南省鄭州市文聯)、『金山』(月刊、江蘇省錦江市文聯)、『短小説』(月刊、江蘇省淮安市文聯)、『微型小説精選』(月刊、江西省南昌市)、『微型小説』(月刊、北京)、『微型小説月報』(月刊、天津市文聯)、『微篇文学』(季刊、四川省温江区文化館)など十八種を数える。

 理論研究も盛んである。『微型小説学』(顧建新、中国文聯出版社、二〇〇〇年)、『微型小説藝術探微』(凌煥新、南京師範大学出版社、二〇〇〇年)、『歴史与理論:二十世紀微型小説創作』(劉海濤、中国社会科学出版社、二〇〇〇年)、『華文微篇小説学原理与創作』(姚朝文、中国文聯出版社、二〇〇二年)、『小説新論―以微篇小説為重点』(龍鋼華、湖南人民出版社、二〇〇六年)、『江曾培論微型小説』(江曾培、上海文芸出版社、二〇〇八年)、『微型小説美学』(凌煥新、鳳凰出版社、二〇一一年)など五十種以上に上る。

 一九八〇年代から現在までショートショートを専門に書く「微型小説専業戸」と呼ばれる作家は年々増加している。その中で旺盛な創作活動によって実績を認められて、中国作家協会会員になっているのは、凌鼎年、孫方友、謝志強、沈祖連、張記書、陳永林、秦徳龍、劉建超、李永康、袁炳発、蔡楠、侯徳雲など五十数名になる。中国作家協会会員でかなりの微型小説を書いている作家には白小易、劉連群など四十数名を数える。「微型小説専業戸」で省一級の作家は、滕剛、王奎山、司玉笙などかなりの数に上る。

文学は作品がもっとも重要である。これまでに中国大陸で書かれた名作として汪曾祺「虐猫」、許行「立正」、邵宝健「永遠的門」、凌鼎年「再年軽一次」、劉連群「人到老年」、白小易「客庁裏的爆炸」、周克芹「断代」、蒋子龍「找帽子」、劉心武「新豆汁記」、孫方友「捉鼈大王」、葉大春「岳跛子」、曹乃謙「莜麦稭窩裏」などがあるが、いずれも一九九〇年代までに書かれた作品である。精品(名作)の出現を待望する声は久しい。